セルフライナーノーツ
注:以下、列挙される文言には、如何に私が作曲の基礎を先人に学んでいるか、如何に私が面倒臭い人間であるか、如何に私が冗長な文章を書くことに長けているか、等々を露呈する部分が多く含まれます。ご留意下さい。
『透明人間』
サリバーン史において、かなり息の長い曲である。
恐らくボツを除けば21の次に出来た曲だ。
元々、歌詞にもあるASIAN KUNG-FU GENERATION「無限グライダー」を参考に、1stアルバム「君繋ファイブエム」の空気感の曲を作ろうというのが発端であり、そこから数多の改変を経て今に至る。
編曲では結構色んなアイデアを織り込んだ気がする。
toeやきのこ帝国を参考に、ダイナミクスの付け方や空気感、奏法をアレンジしていった。
そして何より我々の楽曲「21」が元ネタである。
何を隠そう「透明人間」は「21」のアンサーソングなのだから。
全楽曲に「こういうつもりで作ったよ〜」はあっても、「これはこういう曲だよ〜」みたいには設定しないよう心がけたが、この曲だけは明確にアンサーソングである。我が親愛なる友人兼非常に良い詩を書く人間a.k.a.ポチミに、上記の旨を伝え、歌詞原案を依頼した。
詞先のつもりで依頼したが、私の力不足故、改変・流用の許可を取り、作詞ではなく歌詞原案という形に落ち着いた。
個人的にはサビの頭に「緩慢」などという、常用から逸脱した文言を涼しい顔で入れられたことが嬉しい。緩慢と足早、それ以外にも「対比」を軸に作詞・編曲を行ったので、是非注目していただきたい。
もちろん「21」との対比も意識して作詞したつもりである。聴き比べて我々の成長と共に楽しんでいただければ何よりだ。
p.s. いくらなんでもPNが面白すぎるだろポチミよ。何なら最初ポチタだった。集英社と闘う気なのか君は。
『くだらない』
この曲は私の一時期有していた思想である「本当に良い曲は弾き語りの時点で、比類なき強度を持つ」という思想に基づいて作られた楽曲である。この曲を作った頃は特に、バンド単位と言うより、ソングライティングそのものについてよく考え込んでいた時期だった。
弾き語りを軸に作ったこともあり、フォークな空気感のある楽曲に仕上がったと思う。
何よりレコーディングにのみ参加してくれたコーラスのリコがこの上なく素晴らしい。パート割りをコーラスから急遽ほぼツインボーカルにまで引き上げた判断に間違いはなかった。
この曲、実はメンバー内人気一位である。
・ASIAN KUNG-FU GENERATION「迷子犬と雨のビート」
・bloodthirthty butchers「サラバ世界君主」
・Age factory「Seventeen」
・羊文学「天国」
この辺りが明確に参考にした楽曲達である。
何だか黄色・橙っぽい曲ばっかだな。
歌詞について。一番普遍的なことを歌っていると思う。
バンドをするという行為の大義みたいなものを盲信し、友人や家族、大切な人達との記録には残らないような「くだらない」時間を蔑ろにしていることに気付いた頃、書き上げたと記憶している。
空欄は用意したつもりなので、皆々様の思い浮かぶ人達との記憶で補完していただけると嬉しいなと思う。
あと、俺は詞を書く時に必ず季節を設定して書いていて、自分に季語の概念が根付いていることに改めて気付いたりした。この曲の歌詞は春の曲のつもりで書いたけど、まあ別に夏でも冬でも好きに受け取ってくれればOK。
ふんわりした言葉ばかりなので、是非目一杯ふんわりして下さい。
『アネモネ』
以前から発売している「SUNSET BLUE」にライブ版が収録されていたことでお馴染み、アネモネちゃん。
イントロの重ねアルペジオは繊細かつ試行錯誤の嵐だったし、音作りやフレージング、音の切れ間は何処まで突き詰めるべきなのか等々、これまでやってきたコピバンではない「オリジナル」でバンドをするとは何たるかを、手取り足取りこの曲に教わった節が我々にはある。それは演奏に関しても、スタンスに関しても。
全体的にアニメのED感を意識して作った。
当時、激しい曲が作りたいのに、どうしても低空飛行な曲調になりがちだったのを解消すべく、壮大さと緩急を共存させ、静かだけど五月蝿い、みたいな状況を作れないものかとモゴモゴした後、ぽこっと生まれた。
ASIAN KUNG-FU GENERATION「腰越クライベイビー」が着想元であり、弾き倒し系ギターが代名詞であったGt.福山の土俵を用意しつつ、Oasis的文脈のコード感に楽曲のアンセム的立ち位置を担保させた上で、サリバーンらしさ、みたいなものをチマチマ積み上げていったように思う。
歌詞で言えば、初めて自分の心象風景や感情、思想を詞にパッケージング出来たと思える曲である。
この瞬間が続けばいいと思ったり、自分の身の回りの環境が当然らしくそこに有ることに疑問を抱かなかったり、いざ状況が急変した時、深い悲しみに暮れることがあるだろう。少なからず私は経験してきた。手から離れて初めて気付く大切さや、物事が変わりゆくものという当たり前のことを、私は改めて思い知り、ついでに受け入れた。
恒常性を持たない全ての事柄は、波の満ち引きと同様に、起こって当然なのだから、ただ私はここに居て、ただあなたは何処かへ行ってしまう。何気ないが劇的な変化。でもそれは当然の出来事なのだ。
見方によっては冷めてる、達観してると思われるだろうが、運命は思っていた以上にプラトニックなものなんだ、みたいなことをツラツラ詞に落とし込んだつもりである。
『ニュートリノ』
本アルバムの表題曲。実は制作期間一週間とちょっと。
バタバタと制作したこともあり、メンバー全員の地力が試された結果、伊達に一年やってきてないな、みたいな仕上がりになっていると思う。
メインリフを繰り返すスタイルは、私が鳥頭なので、展開の多すぎる曲は覚えられないという何とも不甲斐ない理由で選択されたものであり、同時に「ノれなきゃ音楽じゃねえ!」という当時制作に追い詰められていた私に生じた過激思想を発端にするものでもある。
制作の流れは、何の気無しに弾いたリフに福山がハモリを被せ、ビートを付着させた形になる。
私がDTMに弱いにも関わらず、力技で作ったルーパーを駆使したデモを用いたり、私の脳内構想をガチガチに組んで制作に臨んだりしていた我々にとっては、かなり珍しい形だ。
サビ・Cはエモの文脈をかなり意識した作りにしており、作曲において、まず自分の内側のバイブスを調整することを最優先している私は、the cabsのコードストロークを擦れる程聴き込んだりした。
何より輝かしいのは肥前のドラムである。
生真面目なビートと、素っ頓狂なフレーズセンス(ex.ラスサビ前のチキチキチーン)の共存には脱帽するしかない。本人は自信無さげなことが多いが、こんなドラムはお前にしか叩けないんだから、もっと鳩胸で街を闊歩するといい。
ちなみに、最新のライブのテンション感は、この「ニュートリノ」を基軸に構築しているので、是非現場で体感していただければと思う。
「ニュートリノ」は素粒子の一種で、とにかく小さい単位というニュアンスで引用した。それは社会という漠然としながらも、とにかく広大であることだけは明確なものの中で、最小の単位である個人に似ているからである。Aメロ前半部をレコーディングの当日、Recルームの上にあるロビーのソファーで書き上げたことからも分かる通り、思うがままに書いたという点ではこの曲が最たる例に当たると思う。つまり、「ニュートリノ」はより裸に近い言葉で綴られたものであり、極限まで個人的な物言いをしているということでもある。
細かい拘りではあるが、レコーディングも歌に関する部分は、コーラスのリコにもメンバーにも関わらせなかった。楽曲はバンドのものであっても、ここに在る言葉は絶対的に私のものだと誇示したい気持ちがあったことを、正直に書き留めておこうと思う。
だからこそ、この曲を聴いてくれた皆々様にとっても、個人的な曲であって欲しいと願っている。
誰かのことではなく、あなたのことを考えて欲しい。借り物の言葉、借り物の人生を歩むことの馬鹿馬鹿しさを、今一度考え直して欲しい。自省の先に自らの影の形をくっきりと認識して欲しい。
ささやかな願いを添える我儘を許して下さい。あとはお任せします。
『不明瞭な体温』
サリバーン初三拍子。
実はこの曲も制作期間ニ週間くらい。
元々三拍子の曲は好んで聴いていて、一番強く影響されたのはきのこ帝国「海と花束」だと思う。BPM自体を上げなくても、手軽に疾走感を産める三拍子は、ハイテンポで根明に振舞うことが苦手なサリバーン御一行には肌馴染みが良かった。
リバーブとモジュレーションを深く掛け、ディストーションとマフでにじり寄る作りは、サリバーンなりのシューゲイズの完成系であると言っていいと思う。風呂場音響に、カラカラにミュートしたスネアという掛け合わせは、リバーブをかけ過ぎるとどうしてもリズムが甘くなったり曖昧になる問題を解決する妙案であった。そして、連想ゲーム的にtoeにおける柏倉氏のサウンドメイクを参考材料に挙げ、エンジニアの福山さんと共にリズムパートを仕上げた。
また、アウトロ部ではリードにビッグマフ、リズムにターボディストーション、共にリバーブ多重掛け、加えて、滅茶苦茶なノイズ演奏のギターも重なっている。奏者は私。
ギタープレイにおいては、私がメロディ寄り、福山はギターらしいフレーズに寄ることが多い。その為、適材適所の判断に基づき、この楽曲の2サビ後のギターソロは、前半が私、後半が福山の演奏である。
それを踏まえて聴いてみると面白いかもしれない。
あと、実は唯一のラブソングでもある。
私の恋愛観がダダ漏れで、なんて退廃的な価値観なんだと自分でも呆れてしまったが、もうそうなってしまっているのだから仕方がない。
恥ずかしいので多くは書かない。
何かに重ねるも良し、作品としてただ受け取ってくれるも良し、「あ〜鏡堂ってこんな恋愛観なんだふ〜んへえ〜そうなんだ〜」って思ってくれても良しです。
『N.E.S.』
サリバーンの楽曲の中で、最もカポが高く、最も人の声がいっぱいする曲。
モロMidwest emoにハマってる時期に、どうにか俺もその系譜の曲が作れないものかと試行錯誤した結果がこの曲である。途中にあるタッピングやソロパートは全て私が作った為、清濁全て私が呑むべきと考えている。
加えて、サビにシンガロングがあるのも特徴的である。メンバー横並びで少し上方に置かれたマイクに合唱したのは、学生時代の思い出っぽくて凄く良い。先程も触れたが、根明に振舞うのが苦手なサリバーン御一行にとっては、かなり頑張った曲に仕上がっている。
温度感が言葉にはある。
温かいとか冷たい以外にも、湿っぽいとか硬いとか、そんな感じの色々。
詞作においてはかなり重要な要素である、言葉の温度感をこの曲では最優先事項に据え置き、作詞を行った。
他の曲では受け取られてからの意味合いはさておき、自分にとってどういう意味を持つ言葉かは必ず念頭に置いていた。音楽とは曖昧さ、解釈の余白を持っておくべきだと考えてはいるが、歌詞は自分に向けて書くことが多いので、自分にとっての意味には大きい比重を置いていた。しかし、「N.E.S.」に関しては、より詞というものの特徴を活かした歌詞が書けないものかと考えあぐねていた記憶がある。
小説でも俳句でも、歌詞と同系統とされる詩とも違う、「歌詞」というフォーマット特有の温度を感じてもらえれば幸いに思う。
『ホームタウン』
当アルバムを締め括る、唯一の弾き語り音源。
元々バンドアレンジでライブにて演奏していた楽曲で、イントロにリバースディレイ使ったり、コード進行にaugを混ぜ込んだり、色々改造の対象にはなってきたこの子ではあるが、結果的に弾き語りでの収録に着地した。
部屋で歌ってるのが聴こえてくる感じをイメージして録音環境をセッティングしてもらったので、音の空気感は面白いと個人的には思っている。サリバーン=ギター歴である俺の爪引きが聴けるレアな機会でもある。
歌詞を見れば、かなり郷愁を意識したんだなと我ながら思う。大学の友人達のお陰で、地元というものの多様性を感じ、人には人の故郷があることを、改めて認識したことが、この詞の起源だと思う。思えば、元から当たり前に認識していたことを、きちんと手に取れる形で認識し直すことが、私の思想形成の第一段階なんだろう。
故郷を想うことは自分の歩み始めた場所を振り返ることでもあり、初志貫徹、First Choice Last Stanceの理念に則った行いでもある。そういう戒めを自らに課す意味合いもあれば、街から街へ歩き出せばこそ、初めて自らの意思で歯車を動かすことが出来るんだという、正直私にしては前向き過ぎる想いを持って書き綴った楽曲である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
如何だったでしょうか。
読み進めるにはあまりにストレスフルだったのではないでしょうか。そうでないことを祈ります。
また読み切ってくれたなら、格別の感謝を送ると共に、今後とも益々の応援をよろしくお願いしたい所存です。
サリバーン 鏡堂
0コメント